絶対音感の終焉(まとめ)
共通点は「音を(周波数)比で捉えている」
相違点は「(周波数)比を捉えるための基準が違う」
そして、この相違は(周波数)比を捉えるための
「基準を『動かせる』/『動かせない』」
の違いと言う話をしました。
「其の二」では「其の一」の相違点の基づき2つの音感を定義し、
その相違から生じる両者の特徴を挙げました。そして、
と言う人もいますが、
「(周波数)比を捉えるための基準の違いにより定義された
この2つの音感は共存できない」
と言う話をしました。
「其の三」では絶対音感は強固にラベリング(音高と音名が紐付け)
されているために
「移調に弱い」
と言われることがありますが、実は
「全く別の理由が原因ではないか?」
と言う話をしました。
「移動ドでの視唱の実現方法が違うのでは?」
と言う話をしました。
「其の五」では絶対音感と非絶対音感の優劣を争うのではなく、まず
「両者の違いを客観的に(論理的に)捉えることが大切ではないか?」
と言う話をしました。
「其の六」では絶対音感が音名を判別するための情報は
人間が通常読み書きしている記憶領域に保存されているのではなく、
「クロマ(周波数比)を認知する仕組みの中に組み込まれているのでは?」
と言う話をしました。
「其の七」では絶対音感訓練は本来人間の成長過程から見れば
正常な脳の発達と言える傾向を「悪い傾向」と見なし、
その能力の発現を抑えることで実現している疑いがあり、
「それは自然の摂理に逆らっているのでは?」
と言う話をしました。
「西洋では絶対音感への依存が言語学習に有害だと考えられている」
と言う話をしました。
「其の九」では「調性」と言う用語がしばしば誤用されるのは、
「絶対音感では調性と言う概念を感覚的に理解できないからでは?」
と言う話をしました。
私にはどうしても
「絶対音感が脳の発達を抑制することで実現している」
と言う疑いを拭い去ることができません。
特に絶対音感は「臨界期」と言って6才くらいまでに
身に付ける必要があります(当然訓練はもっと早い時期)。
つまり、絶対音感の習得は本人の意思よりも
親や周りの人間の意思に委ねられる点も気になるところです。
こうした問題も含め、これからは「倫理的」な立場からも
「慎重に検討されるべき課題」だと私は考えていますが、
みなさんはいかがでしょうか?
(了)
絶対音感の終焉