最近、
「階名(移動ド)で読むと相対音感が身に付く」
と言った主張を目にすることが何度かありましたが、
階名(移動ド)で読むから相対音感が身に付くのではなく、
「元々階名(移動ド)の概念で音が認知されている、
つまり元々相対音感があるからこそ、
階名(移動ド)で読むことに意味がある」
と私は考えています。
もし、
「階名(移動ド)で読むと相対音感が身に付く」
と言う理屈が通るのであれば、
「音名(固定ド)で読むと絶対音感が身に付く」
と言う理屈が通っても良いのではないでしょうか?
実際、そうした主張を目にしたこともありますが、
それでは
「絶対音感には臨界期がある」
と言う説に対して矛盾が生じてしまいます。
「タマゴが先か?ニワトリが先か?」
ではないですが、
「この音が『ド』です」
と論理的に定めるからその音が「ド」になる訳ではなく、
実際にその音が感覚上「ド」に聴こえる、
つまりその音に周波数比1:1が生み出す感覚、
「『ド』のクロマ」
が生じるからこそ、その音が「ド」になる
と私は考えています。
当然、【パターン2】の相対音感テストの答えも、
「Yが論理的に何の音か?」
ではなく、Xが階名「ド」に聴こえた上で、
「実際にYが何の音(階名)に聴こえたか?」
(感覚上、何のクロマが生じたか?)
であるべきだと私は考えています。
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