と主張する人がいる一方、
と主張する人もいます。
この辺りは
でも書きましたが、結局のところ
によって考え方も変わってきますが、
ここでは上記の記事に書いてある通り、
「which」ではなく、
「how」
を基準に考えたいと思います。
(絶対音感保持者ではない)多くの人は
特別な訓練を受けていなくても、
移調した曲は感覚上で同じ曲と分かり、
移調した伴奏に合わせて歌うこともできると思います。
その際、調や音名、階名と言った概念を意識することなく、
当然それらの概念を論理的に処理する(頭を使う)こともなく、
ごく自然と感覚上で対応できます。
この能力は本来人間の成長過程で自然と発現しますが、
幼児期に行われる絶対音感訓練の中ではこれを
と称し、この症状が現れると絶対音感の習得は
難しいと言われています。
逆に言えば、大人になっても絶対音感を保持している
と言うことは移調のミスを起こさなかった、
つまり、
「この能力が発現しなかった」
とも考えられます。
そしてこの能力、つまり移調のミスと呼ばれる現象こそが
「正に相対音感そのもの」
だと私は考えています。
「果たして絶対音感と移調のミスは共存できるのでしょうか? 」
絶対音感保持者が相対音感と称しているのは、
実はそれは(相対)音感ではなく、
訓練によって身に付いた単なる
「絶対音感上で相対的に処理する能力」
ではないか?と私は疑いを持っています。