「観測点(基準音)の違い」
と再三述べてきましたが、具体的には
・絶対音感の基準音=通常音名「C」
・相対音感の基準音=調性上の主音、つまり階名の「ド」
と言うことになります。
では、基準音が違うと何が変わるのでしょうか?
相対音感では調性上の主音を基準音とするため、
例えば周波数比「1:1」が生み出す感覚(クロマ)は
調(キー)に影響を受けることなく、
常に階名「ド」を指すことになります。
つまり、音楽的な意味合いは変わりません。
これは青い電車の中で赤いボールが
時速20kmで飛んでいる現象は、
電車が時速何kmで進んでいようが
常に時速20kmに見えることと同じです。
一方、絶対音感では通常音名「C」を基準音とするため、
例えば周波数比「1:1」が生み出す感覚(クロマ)は
常に音名「C」を指すことになりますが、音名「C」は
と調(キー)によって階名が変わってしまいます。
つまり、音楽的な意味合いが変わることになります。
これは青い電車の中で赤いボールが
時速20kmで飛んでいる現象は、
電車の速度によって見え方が変わってしまうのと同じです。
私が絶対音感に疑問を感じる理由の1つは、
「絶対音感の観測点は
音楽とは何の関連もない単なる物理的な基準」
だと言うことです。
基準ピッチと言う概念は人間が定めた便宜的な値で、
その値自体に音楽的、科学的な意味がある訳ではなく、
無限に存在するピッチの1つに過ぎません。
「基準ピッチは本来人間が持つものではなく、
楽曲や楽器が持つもの」
だと私は考えています。
なぜなら人間は元来、脳の発達と共に
無限に存在するピッチに自分のピッチ(観測点)を
レンズのピントのようにフレキシブルに合わせる
能力が自然と発現するためです。
しかし、絶対音感訓練ではこの能力を
等と称し、この能力の発現を抑制することで
絶対音感を実現していると考えられます。
この能力が発現していなければ、
「絶対音感が音名を判別できること」や
「絶対音感が移調に弱いこと」にも
合理的に説明が付くと思いませんか?
(了)
(其の六) (其の七)