「音名(固定ド)と階名(移動ド)」
音楽的にはどちらも必要な概念ですが、
相対音感にとって重要な概念は「階名」だと、
だから、
「まず最初に階名ではなく音名で音を捉えようとする
アプローチ自体が根本的に間違っているのでは?」
と私は考えています。
音名は音楽の本質ではなく、
「表面的な部分」
に過ぎません。
ただ、逆に表面的な部分であるがゆえに、
人間にはそれがまるで音楽の本質であるかのように
「錯覚」
してしまうのかも知れません。
しかし、それは結局、
「太陽が動いて見えるから、天動説は正しい」
と信じているようなものだと私は考えています。
絶対音感保持者はこれに異を唱えると思いますが、
それは絶対音感がどのように音を認知しているかを
考えれば当然のことだと思います。
また、ここでその
「どちらの考え方が正しいか?」
と言う議論に意味がないことは、
過去の不毛な議論を見れば明らかです。
重要なのは、
「その考え方の相違がどこから生じるのか?」
ではないでしょうか?
ただ、最終的に
でしかないため、その考え方は
「一般論とは区別して扱われるべき」
だと私は考えています。
固定ド/音名教育と天動説