音は「ドレミファソラシド」のような符号に変換された瞬間に
それはもう音と言う「感覚的な情報」ではなく、
符号(言語)と言う「論理的な情報」になってしまいます。
誰もが音楽を聴いて美しいと感じるのは、
「論理的な情報」に対してではなく、
「論理的な情報」に変換される前の「音」としての
「感覚的な情報」
に対してであって、音楽を考える上ではこれが一番重要な情報だと
私は考えています。
そして、この「感覚的な情報」(の1つ)こそが
であって、人間はこのクロマから「論理的な情報」を抽出すること
になります。
つまり、人間がクロマをどのように認知しているかが分かれば、
「クロマからどのような情報が抽出できるのか?
(できないのか?)」
と言ったことがハッキリしてきます。
もちろん、脳のどの部分でどのような処理がされているのか?
と言ったところまではまだ科学的に解明されていないようですが、
少なくとも、
・「ドレミファソラシド」は音律と呼ばれる周波数比が基盤に
なっている
・「ドレミファソラシド」が「ドレミファソラシド」と
認知されると言うことは、人間は音を(周波数)比で
捉えていること。そして、比を捉えるための基準となる
概念が存在している
と言うことは分かります。
以前、
「クロマの認知の仕方には2通りの人間がいるのでは?」
と書きましたが、具体的にはこれは
「周波数比を捉えるための基準の違い」
だと私は考えています。
周波数比を捉えるための基準が違うとどうなるかと言えば、
「ずれたクロマが認知される」
ことになります。
本書では「ずれたクロマ」が認知されることで生じる
「聴こえ方の違い」について言及しています。
「移調」や「調性格」もこの問題に関係してきます。
興味のある方は是非読んでみてください。
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