1オクターブ離れた「ド」の音は物理的には明らかに
高さ(周波数)の異なる別の音です。
また、同様に移調された曲は物理的には明らかに
高さ(周波数)の異なる別の曲です。
にもかかわらず、人間にはどちらも同じ「ド」の音、
あるいは同じ曲として認知されます。
こうした性質は周波数そのものに対応した
単純に音が高い低いと言う定量的な感覚ではなく、
周波数成分の分析結果sin ntのnに対応した定性的な感覚、
つまりトーン・ハイトではなく、トーン・クロマに
生じると考えられますが、今回はそんな
「オクターブ等価性」と「移調のもとでの等価性」
の不思議について少しだけ考えてみたいと思います。
例えば「ド」の音の周波数を2倍にすると、
(オクターブ上の)また「ド」の音になります。
さらにその「ド」の音の周波数を2倍にすると、
(さらにオクターブ上の)また「ド」の音になります。
さらにさらに・・・(以下同様)
反対に「ド」の音の周波数を半分にすると、
(オクターブ下の)また「ド」の音になります。
さらにその「ド」の音の周波数を半分にすると、
(さらにオクターブ下の)また「ド」の音になります。
さらにさらに・・・(以下同様)
こうした性質からオクターブ等価性と聞くと、
あるいは、
「フラクタル(自己相似)」
を連想します。
ちなみに周波数が2倍になると言うことは当然、
周波数成分の分析結果sin ntのnも2倍になります。
また、階名のものさしを伸縮したとき、階名の「ド」を
どの音名に合わせても音名のものさしと目盛りが合う、
と言うよりも目盛りが合うように設計されています。
(正確には目盛りが完全に合うのは平均律のときだけ)
つまり、どこから切っても金太郎ではないですが、
「どこから始めても『ドレミファソラシド』」
になります。
こうした性質から移調のもとでの等価性と聞くと、
「金太郎飴、それも円柱形ではなく、
切り口が広がっていくような円錐形の金太郎飴」
を連想します。
「ドレミファソラシド」がマトリョーシカ人形、
つまりフラクタルのような自己相似形であれば、
オクターブ等価性や移調のもとでの等価性を
感じたとしても何ら不思議ではありません。
その場合は大きさ(音の高さ)そのものではなく、
形で捉えていると考えられます。
また、絶対音感保持者がオクターブエラーを
起こすと言うことは、絶対音感は仮説①のように
音の高さそのものを捉えているのではなく、
仮説③のように、
「周波数成分の分析を通して実現されている」
と考えるのがやはり自然ではないでしょうか?
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