わざわざフーリエ解析を引き合いに出すまでもなく、
「比の基準が定まらなければ比を取ることができない」
これは、例えば長さの単位「メートル」であれば、
3mは1mの3倍、1kmは1000倍と言った具合に
その量は全て「単位に対する比」で表されますが、
つまり、
「単位が定まらなければ量を測ることができない」
ことと全く同じ道理です。
「みなさんは単位なしで量を測ることができますか?」
ちなみに本ブログではこの基準となる概念は、
と言った表現で今までにも何度か登場しています。
人間はただ漠然と音楽を聴いているようで、実は
があるように、あるいは
「ラジオを聴くにはダイヤルを局(の周波数)に合わせる」
必要があるように、
「音楽を聴くには基本周期を調(の周波数)に合わせる」
必要があるのでは?と私は考えています。
※独立行政法人 科学技術振興機構
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そして、基本周期を調に合わせるからこそ曲の中で
一貫して同じ高さの音には同じ音楽的キャラクターが、
つまり、
「調性が生じる」
のではないでしょうか?
フーリエ解析はどちらかと言えば、
「和声的音程のように同時に鳴った音の縦の関係」
を捉えるのに向いていますが、人間はさらに時間を跨いで、
「旋律的音程のように別々に鳴った音の横の関係」
を捉える仕組みを備えていると考えられます。
(和声的音程、旋律的音程とは?)
このとき、単位となる基本周期を調に合わせることで、
「基本周波数と周波数成分の関係がより単純な比で表せる」
であろうことは何となく直感的にも分かると思いますが、
単純な比で表せると言うことは即ち、
「協和、さらには音楽を美しく感じる」
と言うことに繋がっているのではないでしょうか?
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