人間の感覚が周波数比に対応していることは
疑いのない事実だと思います。
このことは「其の十」でも触れましたが、
「ドレミファソラシド」の基盤となる「音律」が、
決して「周波数そのもの」ではなく、
「周波数比」
で規定されていることからも明らかです。
「絶対音感は音を比較しなくても・・・、
相対音感は音を比較すると・・・」
と言った説明をしばしば見掛けますが、
みなさんは、
音を比較しない = 優れている
音を比較する = 劣っている
と思い込んでいませんか?
実は実際に比を取ること、つまり
「比較すること」
で初めてそこに音楽的な意味が生じると私は考えています。
逆に比較しないと言うことは、
「それは全く別の行為」
であって、その優劣を競っても全く意味のないことです。
なお、ここで「比較する」と言っているのは、決して
「音の高低を比較」
することではなく、
「周波数の比を取る」
ことを指しています。
相対音感は音が高い低いと言う感覚、
つまり、
「トーン・ハイトで実現」
されていると説明されることがありますが、
例えば2音X、YのXとYの音高が分からずして、
どうしてXとYの音の高低差が求まるのでしょうか?
これを合理的に説明できる人はいますか?
相対音感は周波数に対応したトーン・ハイトではなく、
周波数比に対応した感覚、つまり
「トーン・クロマで実現」
されていると私は考えています。
では、絶対音感はトーン・ハイトとトーン・クロマ、
「どちらで実現されているのでしょうか?」
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