どうも私には
「○○が分かる(できる)から相対音感がある」
と言った理屈、あるいは逆に
「相対音感は○○が分かる(できる)能力」
と言った定義は、相対音感と言うものが
「ブラックボックス」
に見えてしまい、その実態が全く感じられません。
もちろん、それも1つの考え方だとは思いますが、
それはあくまでも議論のスタート地点であって、
そこから
「それがどう実現されているか?」
と言う部分が言及されて、
初めてその理屈が説得力を持つと考えています。
しかし、反論者の方の話を聞いていると、
「○○が分かる(できる)から相対音感がある」
以上、Q.E.D.(証明終わり)
的にどうもそこが話の終着点になっているようで、
その先の肝心な「それがどう実現されているか?」
と言う部分が全く見えてこない、正直私には
「何の興味もない話」
になってしまいます。
また、
と言われていますが、
「相対音感がどう実現されているか?」
も突き詰めて考えれば、
「人間が音楽的に音をどのように認知しているか?」
であって、少なくとも
「相対音感は○○が分かる(できる)能力」のように、
「簡単に一言で定義できるようなものではない」
と私は考えています。
関連記事
(其の十一) (其の十二) (其の十三) (其の十四) (其の十五)