前回の「色聴」も前々回の「ラベリング」もそうですが、
「赤」のような「色」や「ド」のような「言語(符号)」は
本来、
「音とは何の関連性もない情報」
です。
音自体が「赤」と言う「色」に関する情報を持っている訳でも、
「ド」と言う「言語」に関する情報を持っている訳でもありません。
もちろん、音名に対して「赤」と言う色を割り振ったり、
「ド」と言う名前を付けること(命名効果)で、
音名を認識、識別しやすくなる効果は期待できますが、
それらはあくまでも便宜的に割り振った
「補助的な情報」
であって、音名を識別できるようになってしまえば、
自転車の補助輪のように必要のない情報です。
そうした意味で絶対音感訓練の例ではないですが、
トニックソルファ法では階名と符号(シラブル)とが
「過剰に紐付けされないよう考慮されている点」
は非常に興味深いところです。
おそらく絶対音感訓練上ではそうした考慮は一切なく、
「音当て」のような訓練が繰り返されることで
音に対して「色」や「言語」が過剰に紐付けされ、
音を聴くと、
「条件反射的に色や言語が喚起」
されるようになってしまうのではないでしょうか?
最初にも触れた通り、「色」や「言語」と言った情報は
本来、
「音とは何の関連性もない情報」
です。
音感を考える上では、あくまでも
「音としての感覚/情報」
のみに着目すべきで、その音としての感覚に対して
どんな情報が関連付けられようが(刷り込まれようが)、
それは、
「音感とは切り離して考えるべき」
だと私は考えています。
(其の十一) (其の十二) (其の十三) (其の十四) (其の十五)