「絶対音感は聴いた音が『ドレミファソラシド』で聴こえる」
そんな風に表現されることがありますが、
もし文字通りに聴いた音が
「音」と言う「感覚的な情報」を通り越して、
直接「ドレミ」と言った言葉(符号)のような
「論理的な情報」
として認識されてしまうのであれば、
そんな能力はきっと誰も欲しがらないでしょう。
人間が音楽を美しいと感じるのは、
音と言う感覚的な情報に対してであって、
決して「ドレミ」と言った言葉(論理的な情報)に
対してではないはずです。
これは人間が絵を美しいと感じるときに
いちいちこの色は赤、この色は青と言った言葉に
変換する必要がないのと同じです。
また、トマトの絵を描くときに
赤と言う言葉を介すことなく、
誰でも赤い絵の具を選ぶことができると思います。
これは赤いと言う視覚的な感覚そのものを
認識、識別できているからです。
しかし、人間は生まれたときから
そうした識別、認識ができる訳ではなく、
後天的に学習されるものだと思われますが、
そのときにその概念に名前を付けてあげることで
認識、識別しやすくなるそうです。
これを「命名効果」と言い、
「ドレミファソラシド」もこの命名効果に
該当すると考えられます。
ただし、音高と音名(の符号)が過剰に紐付けられてしまうと、
「歌を聴いても歌詞が耳に入ってこない」
「音楽を聴きながら読書ができない」
と言った弊害が起こることもあるようです。
(了)