「絶対音感」と「相対音感」に関する疑問や私なりに思うことを
7回にわたって徒然と書いてきました。
「其の一」では絶対音感も相対音感も
「how」(それがどのように実現されているか)ではなく、
「which」(表面的な結果)を基準として定義されているために、
人それぞれ捉え方が変わってしまう(結果的に話が噛み合わない)
と言う話をしました。
「其の二」では聴いた音を「符号化」してしまえば
論理的な処理が可能になりますが、
論理的に処理してしまえば何でもできてしまいます。
「論理的な処理」と「感覚的な処理」は、例え表面的な結果が
同じだとしても
「本質的には全く別の行為」
で、区別して考えるべきと言う話をしました。
「其の三」、「其の四」では
一般的に「音名のクロマ」と言われていますが、
音名にクロマが存在した場合の矛盾を追及することで、
実は
「音名にクロマは存在しない」
と言う話をしました。
「其の五」、「其の六」、「其の七」では
一般的に相対音感は「音程を判別する」と言われていますが、
例えば「全全半全全全半」と言う音程が分かったとしても、
「基準」となる概念が存在しない限り、それを
「ドレミファソラシド」と特定することはできないこと。
また、「ドレミファソラシド」は「音律」と呼ばれる
「周波数比」が基盤になっていますが、
「ドレミファソラシド」が「ドレミファソラシド」と
聴こえると言うことは、人間は音を「(周波数)比」で
捉えていると言うこと。
そして、音律上「ド」は周波数比が「1:1」、
つまり「ドレミファソラシド」が「ドレミファソラシド」と
聴こえると言うことは、
「『ド』を周波数比の基準として音を捉えている」
と言う話をしました。
本書ではこうした考えを踏まえ、
「絶対音感」、「相対音感」とはまた違った角度から音感を定義し、
音感について考え直してみました。
興味のある方は是非読んでみてください。
(了)