絶対音感と言えば、
聴いた音がすぐさま「ドレミファソラシド」に変換されたり、
もしくは聴いた音が「ドレミファソラシド」で聴こえるような、
そんな能力を思い浮かべる人も多いかも知れません。
しかし、絶対音感は聴いた音を「符号化(言語化)」すること、
いわゆる
「ラベリング」
にその本質があるのではなく、
「ドレミファソラシド」のように
「音名(固定ド)を識別できる形で音が認知されている点」
にあると私は考えています。
ラベリングするから音名を識別できるようになるのではなく、
音名を識別できる形で音が認知されている
からこそラベリングできるのであって、
音名を識別できる形で音が認知されていなければ、
そもそもラベリング自体できません。
ラベリングは「音そのもの」に対して行われるのではなく、
あくまでもその音を認知した
「人間の感覚」
に対して行われるものです。
なお、ラベリングされるのは必ずしも
「ドレミファソラシド」のような符号に限定される訳ではなく、
ピアノの鍵盤や楽器の指使い、五線譜上の音符と言った情報に
紐付いている人もいるのではないでしょうか?
音は「ドレミファソラシド」のような符号に変換された瞬間に
それはもう音と言う
「感覚的な情報」
ではなく、言語と言う
「論理的な情報」
になってしまいます。
さらに音楽理論さえ理解していれば、そこから
「音名⇔階名変換処理」や「移調処理」
などは論理的に実現できてしまいますが、
「論理的に実現することと感覚的に実現することでは
表面的な結果が同じでも、その意味は全く違います。」
こうした論理的な処理も音楽的な能力の1つではありますが、
ここでは音感とは一旦切り離して考えたいと思います。
あくまでも音感の「感」は感覚の「感」で、
重要なのは音が言語に変換される前の感覚的な情報であると、
そして、この感覚的な情報こそが
であって、さらに
「クロマの認知の仕方には2通りの人間がいるのでは?」
と私は考えています。
本書ではクロマの認知の仕方の違いによる2つの音感を定義し、
その2つの音感を軸に話を展開していきます。
興味のある方は是非読んでみてください。