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「絶対音感の終焉」

のんびり気ままにゴーイングマイウェイ ~Blog by 川本零~

絶対音感と相対音感の定義について(其の二)

音感の正体

 

絶対音感と言えば、
聴いた音がすぐさま「ドレミファソラシド」に変換されたり、
もしくは聴いた音が「ドレミファソラシド」で聴こえるような、
そんな能力を思い浮かべる人も多いかも知れません。

 

しかし、絶対音感は聴いた音を「符号化(言語化)」すること、
いわゆる

「ラベリング」

にその本質があるのではなく、
「ドレミファソラシド」のように

「音名(固定ド)を識別できる形で音が認知されている点」

にあると私は考えています。

 

ラベリングするから音名を識別できるようになるのではなく、
音名を識別できる形で音が認知されている
からこそラベリングできるのであって、
音名を識別できる形で音が認知されていなければ、
そもそもラベリング自体できません。

 

ラベリングは「音そのもの」に対して行われるのではなく、
あくまでもその音を認知した

「人間の感覚」

に対して行われるものです。

 

なお、ラベリングされるのは必ずしも
「ドレミファソラシド」のような符号に限定される訳ではなく、
ピアノの鍵盤や楽器の指使い、五線譜上の音符と言った情報に
紐付いている人もいるのではないでしょうか?

 

音は「ドレミファソラシド」のような符号に変換された瞬間に
それはもう音と言う

「感覚的な情報」

ではなく、言語と言う

「論理的な情報」

になってしまいます。

 

さらに音楽理論さえ理解していれば、そこから

「音名⇔階名変換処理」「移調処理」

などは論理的に実現できてしまいますが、

「論理的に実現することと感覚的に実現することでは
 表面的な結果が同じでも、その意味は全く違います。」


こうした論理的な処理も音楽的な能力の1つではありますが、
ここでは音感とは一旦切り離して考えたいと思います。

 

あくまでも音感の「感」は感覚の「感」で、
重要なのは音が言語に変換される前の感覚的な情報であると、
そして、この感覚的な情報こそが

「クロマ」

であって、さらに

「クロマの認知の仕方には2通りの人間がいるのでは?」

と私は考えています。

 

クロマで迫る音感の正体 ~絶対音感の終焉~

クロマで迫る音感の正体 ~絶対音感の終焉~

 

 

本書ではクロマの認知の仕方の違いによる2つの音感を定義し、
その2つの音感を軸に話を展開していきます。

興味のある方は是非読んでみてください。

(次回に続く・・・)

 

絶対音感と相対音感の定義について

(其の一) (其の二) (其の三) (其の四) (其の五)

(其の六) (其の七) (まとめ)